ボンジュール・セニョリータ

僕の食事といえば、人間たちが食べ残したごはんに味噌汁。たまに大好物の魚をもらえたかと思うと、
身のない骨だらけの魚。
今の世界で、そんな食事って信じられる?
僕が、そんな愚痴をこぼすと、母さんはいつも言う。
「きんた、わがままばかり言うんじゃないの。こうして屋根のある家にいて、寒い冬には温かい寝床と毛布があって、暑い夏には、涼しくなる機械があって。ここの飼い主さんは、やさしくて。こんな住み心地のいい家なんて、他にはないわ」

しかし、僕にはがまんができない。だって、友達は、みな、おいしい缶詰の肉を食べたり、香もよくて、口が汚れない乾燥した肉を食べているんだ。そんな中で、僕だけが、まだ味噌汁なんて。
そんな馬鹿なことってない。

ふわふわした絨毯の上でいい音楽を聴いて・・・ここの飼い主の人間が力任せに歌う演歌とかいう歌じゃなくて・・・おいしい肉を食べて、きれいな女の人間にやさしく首なんか撫でてもらって、その人間の膝で眠る。
そして、たまには青や緑の洋服もきてみたいし、美容院にだって行きたい。
それで僕は、彼女も欲しい。
しゃなりしゃなりと歩き、白い毛が光に照らされて眩しいほどに輝いている彼女が欲しいんだ。
そして、僕は、彼女会うたびに「ボンジュール・セニョリータ」と、言うんだ。
え、そんなの古臭いって?
いいんだ、古くてもなんでも、だって、この前、僕の飼い主が見ていたテレビでカッコいいフランスの猫が恋人に言っていたんだ。それがカッコよくてさ。

が、今、僕の目の前にあるのは、古くなった座布団と、どこぼこになった皿。皿には、昨日の味噌汁がこびりついていて、なめたら塩辛い味がする。
あ〜あ、嫌になっちゃう。

そこで、僕は決心した。
この家を出て行く。そして、僕は憧れの家を探し、憧れの人間を探すんだ。



家を出て、もう3日が過ぎた。腹が減った。目が回りそうだ。
僕の目の前には、ゴミ箱があって、その中から魚のにおいがする。僕は、ゴミ箱に飛びついた。
やっぱり魚が入っていた。それもまだ身がたっぷりついた魚だ。僕は、その魚にかぶりついた。少し変な匂いがするけど・・・それでも今まで食べたこともないくらい、その魚はまるまる太っていた。

それから、僕は、ゴミ箱を探すことを覚えた。

ある日のこと、僕は、しゃなりしゃなりと歩くかわいい猫をみつけた。まさに、僕が、いつもあこがれていた彼女だ。
僕は、静かに彼女の後をつけた。
彼女は、僕が夢見ていたような、大きな門のある家に入っていった。しばらくすると、家の中から、彼女を呼ぶ人間の声が聞こえてきた。
僕は、静かに家の中を覗き込んだ。
白いレースのカーテンが窓を飾っていて、家の中には、ふかふかとした絨毯が敷き詰められていた。その中央に大きなゆっくりとした椅子があって、きれいな人間の女の人が座っていた。
僕は、じっと見入っていた。
女の人間の白い指が、彼女の長い手をやさしく撫でている。彼女は後ろ向きになっていたので、どんな顔をしているのかわからなかったけれど、きっと気持ちのいい顔をしているのだろう。

まさに、僕の夢の通りじゃないか・・・僕は、大きくため息をついた。


僕は、なんとかして彼女と知り合いになりたいと願った。
次の日も、そしてまち次の日も、僕は、彼女の家のそばにいて、彼女が出てくるのを待った。
それから5日が過ぎて、やっと、彼女が家から出てきた。
僕は、早速声をかけた。
「ボンジュール・セニョリータ」
しかし、彼女は、そんな僕には目もくれない。
僕は、また言った。
「ボンジュール・セニョリータ。いい天気だよね」
すると、彼女が振り向いた。
「私に、話しかけているの?」
「そ、美しい君に言ったのさ」
僕は、心の中で、なんてうまいことを言うんだろうって、思っていた。
「何か、用?」
「君と友達になりたくて」
「あなたが、私と? 馬鹿なこといわないで」
「どうしてさ、きれいな君と、友達になりたいと思うことが、馬鹿なことなのかい?」
「だって、あなたと私とでは、違いすぎるわ」
「同じ猫じゃないか。どこが違うの」
「だって、あなた、臭いし、とても汚いもの」
僕は、いつも外にいて、臭いゴミ箱あさったりしていたから、匂いが体に染み付いてしまっていたのだ。でも、そんなの洗えばすぐに落ちるはずだ。
「今度は、体をきれいに洗ってくるよ。その時は、ちゃんと話をしてくれる?」
「いいわ」

次の日、僕は、体を洗って彼女の家を尋ねた。
彼女は、言った。
「まあ、ほんとに来たの? あきれた」
「きれいにしてきたんだよ」
「それは、そうだけど。でも、やっぱり、あなたと私は違うわ」
「どこが?」
「家柄よ」
「家柄? どうして? 君だって猫だし、人間に買われているじゃないか。僕だって、この前までは人間の家にいたんだよ」
「うそよ、あなたは、野良猫でしょ」

彼女は、馬鹿にしたように言った。
「そうじゃない。ぼくだって、少し前までは、君の家より広くて立派な家に住んでいたんだ。でも、悪い人間にさらわれて、この町で捨てられたのさ」
「じゃあ、もとの家に戻ればいいじゃない」
「そんなことできないんだ。だって、その悪い人間は、車で僕を運んだんだ。だから、僕には、元の家に帰る道がわからないんだ」
彼女は、哀しそうな顔をして言った。
「かわいそうに」
「でも、いいんだ。ここで君と知り合えたから、そんなこと忘れちゃったよ」
「でも、やっぱり辛いでしょ。食べ物はどうしているの?雨が降ったら、ぬれてしまうわ。夜は暗いし寒いでしょ。どこで寝ているの?」
「いろんなところに食べ物はあるんだ。そして眠るところだっていろいろあるんだよ。僕は男だし、強いから頑張れるんだ」
彼女は、感心したように僕を見ていた。
僕は、得意になって話し続けた。
「僕の飼い主は、すごく広い家に住んでいて、僕たちは、そこの庭で1日中遊ぶんだ。日向ぼっこしたり、玉ころがししたり、かくれんぼしたりしてね」
「僕たちって、仲間がいたの?」
「そうだよ、お母さんと兄弟さ」
「うらやましいわ。私、お母さんの顔も、兄弟の顔も知らないわ。それにお友達もいないの」
「友だち? ここにいるじゃない」
と、僕は自分を指差して言った。
彼女の顔が、パッと明るくなって、嬉しそうな顔になった。
「私の友達になってくれるの?」
「もちろんさ、そのために、僕はここにいるんだから」
僕は、ますます得意になっていた。

「それでね、食事になると、その家のお手伝いさんが、白くて大きな皿に香のいいさらさらとした肉を入れて、持ってきてくれるんだ。夜になると、僕たちは大きな家に入って眠るんだよ。赤い絨毯が敷き詰めてあってね、横の方には小さなストーブもあったんだ」
「家って、あなたたちの?」
「そうだよ、僕たちだけのさ」
「うらやましいわ」
「君と同じだよ」
「・・・同じじゃないわ・・・」
彼女は、哀しそうな顔をした。
「いいわね、家族で一緒だなんて」
「うるさいだけだよ」
彼女は、嫌な顔をした。
僕は、嫌われたかと思ってどきどきし始めた。話題を変えなきゃ!
「君の飼い主、きれいな人だね」
「・・そうね・・・」
「あの長くて白い手で、撫でてもらって、気持ちいいだろ?」
「・・・そうね・・・」
「うらやましいな。僕の飼い主は、やさしいけど、そんなことはしなかった」
「・・そうなの・・・」
僕は、思い切って、彼女のうなじに息を吹きかけた。彼女の長い白い毛がふわりと浮いた。いい香が漂ってくる。
彼女は、恥ずかしそうにうつむいている。
僕は、彼女の横顔に夢中になっていて、彼女の飼い主が帰ってきたことに気がつかなかった。
いきなり首を掴まれた僕は驚いて、手足をバタバタさせたけれど、逃げることはできなかった。あっというまに、僕は庭の木に投げつけられた。窓からは、お仕置きをされている彼女が見えた。
彼女は、悲鳴をあげながら謝っている。彼女の目から大粒の涙がいっぱいこぼれていた。
そのうちに、飼い主は、彼女を玄関まで引きづって、外にほおリ投げた。彼女の白い毛が抜けて、ほこりのようにふわふわと飛んだ。
僕は、あっけにとられて、その一部始終を見ていた。
まるで、違う世界の出来事のようだった。

僕は、彼女のもとに走りよった。
彼女は、泣きながらうずくまっていた。
「僕の家に行こう」
「・・・・」
僕を見上げた彼女の瞳は、涙できらきらと光っていた。
「行こう」
彼女は、うつむきながら首を横に振った。
「私、ここでしか生きられないから・・・」
「そんなことないさ。僕の家だったら、君は生きていけるはずだよ」
そう言いながら、僕は、母さんや僕の飼い主のことを思い浮かべていた。僕の飼い主は、めちゃくちゃ騒がしい人間たちだけど、僕をあんなふうに扱ったことはなかった。
僕は、今、自分の夢が壊れていくのを感じている。夢って、壊れる時はあっというまなんだな・・・。
そして、壊れていい夢もあったのだと、気づいた。
「あなたの飼い主は、あなたを殴ったりしないの? 蹴ったりしないの?」
「そうされたことは一度もないけど・・・」
「そうなの・・・・」
「行こう」
「でも、あなたは、自分の家がどこにあるかわからないんでしょ?」
         しまった・・・と、僕は思う。
「だいじょうぶだよ。ほんとは、大体の見当はついているんだ」
「じゃ、どうして帰らなかったの?」
僕は、言葉に詰まった。
「やっぱり、あなたの飼い主も怖い人間なのね」
「僕が戻らなかったのは・・・・き、君がいたから。そっ、君を見ていたかったから」
         僕は、なんてすごい言い訳を思いついたのだろう。
         本当のことは、歩きながら伝えればいいんだ。
僕は、嘘ついたことを正当化した。

それから3日、僕と彼女は、いろんな話をした。僕は彼女のためにいろんなゴミ箱を漁った。その中から、少しでもいい物を、僕は、彼女のために選んだ。彼女は、僕が持ってきた食べ物を目を丸くしながらも、ちびりちびりと用心深く食べ始めていた。
後少しで、家に着くという時に、僕は、本当のことを話し始めていた。
彼女は、じっと聞いていた。
「ごめんね、嘘ついていて」
「・・そうね・・・」
「僕、君に気に入られたくて、つい、見栄張ったんだ。本当は、めちゃくちゃ庶民の猫なんだ」
彼女は、少し、考え込んでいた。
「でも、お母さんと、兄弟の話は嘘じゃなかったんでしょ?」
「もちろんさ。それと、近所の仲間の話もね。嘘ついたのは、家と絨毯とストーブと食べ物。ごめんね」
「よかった。それが嘘じゃなければ、いいの」
「!?」
「私が、あなたについていこうと思ったのはね、お母さんや兄弟さんたちを見たかったからなの。私には、ないものだったから。だから、それが本当なら、いいの」
「ありがとう」

でも、内心、僕には心配なことがあった。
家を飛び出した僕を、飼い主は許してくれるだろうか。こんな僕を、また家に入れてくれるだろうか?

しかし、今の僕が帰る家は、他にはなかった。

目の前に僕の家が見えてきた。
さすがに僕は、すぐには、家の中に入っていく勇気はなかった。家の前で、うろうろしていると、仲間が寄ってきた。
仲間は、じろりと彼女を見た。
「だれだい? どこで拾ってきたんだ」
「僕の友達だよ」
「まさか、誘拐してきたんじゃないだろうな」
「まさか!」
彼女が、隣でくすくす笑っている。
「ふうん、誘拐じゃなさそうだな」と、仲間は、彼女を見ながら言った。
また仲間がやってきた。
「きれいな子だねえ。よかったじやないか。お前がいつも夢で語っていた彼女にそっくりじゃないか」
僕は、真っ赤になった。
また彼女が笑った。
仲間は、ふっと、哀しい目をした。
「みんな心配してたぞ。早く、帰りな」
仲間は、そう言うと身を翻して僕たちの前から姿を消した。
彼女は、驚いて仲間の後を目で追っていた。
「すごく早いのね。もう、あんなところまで行ってしまったわ」
「逃げる癖がついているからね」
彼女は、また笑った。

その時、人間の大きな声が聞こえた。僕は、振り向いた。
「ミャー! ミャー!」
飼い主が、僕のところに走り寄ってきた。
彼女が、目を丸くしている。
「ミャー? まあ、あなたの名前ミャーなの? まあ・・・」
僕は、また真っ赤になった。
知って欲しくなかった僕の本当の名前だ。
「まあ、ミャーだって」彼女は、くすくす笑っている。
そのうちに飼い主が、ぼほくを抱き上げた。
「よく帰ってきてくれたね。お前がいなくなって、すごく寂しかったんだから」
臭い僕を、飼い主は抱きしめてくれている。僕は、そのことに、すごく感動していた。どうってことないことだったけど・・・
でも、それが、今の僕には、すごく嬉しかった。
家の中から、飼い主のお母さんが出てきた。
やっぱり、飼い主と同じように僕を抱きしめてくれた。
でも、僕のお母さんと兄弟は出てこない。
やっぱり、怒っているのだ。

急に飼い主が、大声をあげた。やっぱり騒々しいのは変わらない。
「この猫、すごい猫。ミャー、この猫どうしたの?」
彼女が、またくすっと笑った。彼女には、僕の名前のミャーがすごくおかしいらしい。
僕は、必死になって、飼い主に彼女のことを告げていた。
飼い主は、首を傾げて僕のことをじっと見ている。
僕のいうことは通じないのだ。短い言葉は通じるのに、細かく説明しなければいけない大切なことは、飼い主に伝わらない。僕は、苛立った。
でも、飼い主は、急に彼女を抱いた。
「この猫、うちで飼おうよ。たまの代わりにさ」と、飼い主は、自分のお母さんに言う。
なんだ、通じているじゃないか・・・。
「だめよ。その猫は飼い猫よ。きっと、飼い主がさがしているわ」
そんなことはないです、と、僕は言った。
でも、さすがに、その言葉は通じなかったようだ。
「でも、怪我しているみたいだし、きたないよ」
「きっと、迷子になったのね」
飼い主のお母さんが、彼女の頭をやさしく撫でた。僕は、その時、はっとした。
お母さんの手も白いじゃないか。それに、すごくやさしく撫でるじゃないか。僕は、そのことを、すっかり忘れていた。
「たまの代わりに欲しいんだけどねえ・・・」
飼い主のお母さんが、つぶやいた。
お母さんが、どうしたというのだろうか。僕は、「教えてくれ」と、言った。もちろん、ニャーとだけど。
飼い主は、僕を抱きながら言った。
「たまは、死んだよ。おまえを探しに行って、車に轢かれたんだよ」
僕は、びっくりした。
僕は、飼い主の腕の中で暴れた。そんなの嘘だ! そんなの嘘に決まってる!
「ミャー、かわいそうに」
飼い主は、僕を強く抱きしめた。
彼女が、僕のことを心配そうに見ている。その瞳で、僕は我に返った。
「ミャー、おまえは、たまの分まで生きなければいけないよ。そうしないと、たまがかわいそうだから」
だから、みんな僕を迎えに出てきてくれないのか・・・。
僕は、いたたまれない気持ちでいっぱいになった。
隣にいる黒兄さんは、数軒先に住んでいる緑姉さんは・・・僕のことをどれだけ怒っているのだろうかと思うと、僕は、身が縮まっていく。

僕と彼女は、飼い主に連れられて家の中に入っていった。
床には、お椀が二つあって、湯気がふわふわと上っている。
僕は、涙を流しながら、味噌汁を食べた。ふんわりと温かい味噌汁が、体中を駆けめぐっていく。
僕の横で、味噌汁ご飯を食べ終えた彼女が言った。
「私、こんなに、温かい食べ物は始めてよ。すごく高い物なんでしょうね」
「そうだよ。高いってもんじゃないさ。きっと、値段なんかつけられないくらい高価なものさ」

そう言いながら、僕は、覚悟を決めていた。
黒兄に緑姉に、なんと言われようと、我慢しよう。僕は、僕のつまらない夢のためにお母さんを犠牲にしてしまったのだ。だから、どんな言葉にも耐えよう。

黒兄と緑姉が、のっそりと入ってきた。
二人は、何も言わずに、彼女をじっくりとみていた。
僕は、緊張している。
「始めまして、キューです。私、お母さんの代わりにここにいてもいいですか?」
彼女が、黒兄と緑姉に挨拶している。
二人の顔がほころんだ。
二人は、僕をじろりと睨み付けた。
「幸せになるんだな」と、黒兄が言った。その横で緑姉がうなづいた。
「ありがとうございます」と、キューが言った。

「キューだって? 僕の名前とたいして変わらないじゃないか・・・」
彼女は、いたずらっぽい目で僕を見つめて、くすっと笑った。
僕は、おどけて言った。
「ボンジュール・キュー」
彼女が、大きな声で笑った。

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小説の部屋・童話・ファンタジー2006.4.5.