第一章

  五百年前
    〜 愛が終わったその日に 〜
 

 神父のガミリエは、見回りに寄った城壁兵士のホヨンに向かって哀しい顔で言った。
「中央のドミニコ会士が「魔女の槌」という本を書いたのだよ。それから、ますます魔女狩りに拍車がかかって・・」と、暗い顔をさらに曇らせた。
「ここにも中央から魔女狩りの会士が来る。村の教会の神父では、魔女にたぶらかされやすいのだそうだ。この村には、魔女などいないのに」
 ホヨンは言った。
「中央の会士様もこののどかな村を見れば、安心してすぐにお帰りになりますよ」
「そうだといいんだがね」

 ホヨンにも神父の心配が手に取るようにわかっていた。
 ホヨンの住む地域では、ここ数ヶ月の間に五人の村人たちが死んでいた。その死人たちは、皆一応に、体の水をすべて吸い取られたかのように干からびていた。村の人々の誰もが口にはしないが、魔女の仕業に違いないと思っていた。このことを知れば、中央の会士たちは、必ず村の人間たちをくまなく調べ始めるだろう。
 村の人々は、会士が到着するや否や、我を競って不思議な死体の話を持ち出した。
 会士たちの執拗な追求が始まった。

 産婆のキオラが連れて行かれた。キオラは、医術の心得があって村の人々の病を治していた。そんなキオラがどうして魔女になってしまうのか、ホヨンにはわからなかった。
 そして、夫を亡くし哀しみに打ちひしがれている未亡人のヤンヤも連れていかれた。また、子供を亡くしたばかりの二ナータも連れて行かれた。彼女たちは、困った人達をほおうっておけない気のやさしい女性たちだった。そうこうしているうちに、いつのまにか魔女と呼ばれて連れて行かれた村人の数は、干からびた死人たちの数よりはるかに多くなっていた。
 村人の半数が、魔女だ魔女だと狂気したように会士たちとあちこちを回っている。
 その狂気の集団を冷ややかに見ている者もいたが、そういう人間の中から魔女は見つかっていることを知った冷静だった村人たちまでもが、狂気の集団に加担していった。

 ホヨンは、隣の村に住む婚約者のマリエッタのことを思った。

まだ、隣の村には、会士は訪れていない。そのことだけが、ホヨンには救いだった。隣村の城主は、凛として潔白で勇敢な人間だと聞いている。そんな城主だったら、きっと、こんな狂気の集団を作り出す会士など受け入れないだろう、いや、受け入れないでほしいと、ホヨンは願っていた。

 マリエッタは、真面目な縫い子で、残ったはぎれで小さな手提げ袋を作っては喜んでいる無邪気な娘だ。
 
色が白く華奢で目が大きくて、まつげの長いマリエッタの顔を思い浮かべながら、ホヨンは、ひとり微笑んだ。
 そんなマリエッタとの婚儀が数日後に迫っている。その婚儀のために、ホヨンは、明日から休暇を取っている。

その時だった。城から出てきた会士たちの話し声が聞こえてきた。
「隣の城主の許可はとれたのか?」
「いやいや、それが、なんとも、強情で傲慢な城主で」
「もしかしたら、すでに魔女にたぶらかされているのではないか」
「おお、もしそれが真実なら、大変なことだ。一日も早く、我々全員でその城主の目を覚まさなければ」
 会士たちは、大げさな身振り手振りで黒いマントを翻しながら去っていった。 ホヨンの背筋が震えた。
「まだ大丈夫だ。隣の城主の許可が下りるまでは、彼らも何もできないはずだ」
 ホヨンは、ひとり言を言いながら、はやる心を無理に押さえつけた。


 真っ暗な夢の中で、ホヨンは、マリエッタの悲鳴を聞いたような気がして眼を覚ました。
 木枠の窓から見える空には、いつものように星が輝いている。ホヨンは、自分ではがしたであろう肌掛けを肩まで引き上げて、額の汗を手の甲でぬぐった。
 夢というには、あまりに生々しいマリエッタの悲鳴は、ホヨンを不安にさせた。しばらくは、「夢なのだ」と、自分に強く言い聞かせていたホヨンだったが、不安はますます膨らんでいった。
 ホヨンは、いてもたってもいられなくなって、とうとう飛び起きた。
 そして、一目散に、マリエッタの村めがけて走り出した。

ホヨンの村とマリエッタの村の間には、大きな山があって、うっそうと茂った林が困難な道のりにしていた。いつもは、その林を迂回した道を行くのだが、今のホヨンには、それだけのゆとりはなかった。ホヨンは、山の道なき道を急いだ。
 東の空が金色に変わり、そのうちに陽は林の中のうっそうと茂る木々の葉を照らし始めていた。村の鶏たちのけたたましい鳴き声が聞こえてきた。数羽のカラスが一斉に村の方から林めがけて飛んできて、背の高い木の幹に止まった。カラスたちは、地上のホヨンに向かってさらに激しい声で鳴く。ホヨンは、さらに足を早めて、マリエッタの家を目指した。やっと、マリエッタの家が見えるところまで来て、ホヨンは尋常ではない何かに気づいた。
 マリエッタの家の入り口に「魔」という板が貼り付けられている。ホヨンは、傷だらけになる指で板をこじ開けて家の中に入った。暗い土間の上に、マリエッタの父のセニラがうずくまっていた。
 赤黒く染まったセニラの顔が動いた。
「あいつら、突然、襲い掛かってきて・・マリエッタを、マリエッタを・・・」
 セニラは、顔をゆがめた
「・・・あいつら・・・会士の仮面を被った獣だ」
 そう言って、セニラは、隣の部屋を指差した。セニラの顔が、鬼のように歪んで、血走った目がひっくり返った。ホヨンが、言葉を発するまもなく、セニラは息絶えた。
 ホヨンは、セニラの指差す方のドアに向かった。ホヨンは、息を詰めた。その先にマリエッタがいることはわかっている。そして、もう死んでいるということも・・・
 ドアの向こうの床には、マリエッタの血だらけの裸体が無造作に捨てられていた。ホヨンは、ベッドにかかる肌掛けでマリエッタを包んだ。そして泣いた。その泣き声に呼応したように、林のカラスが一斉に鳴きだした。


  どれぐらいの時がたったのだろうか。ホヨンは、林の中で穴を掘っていた。セニラはもうすでに土の中だ。そして、今、マリエッタのためだけに大きな穴を掘っていた。ホヨンは、マリエッタの体を抱き上げ、静かに穴の中へと降ろし埋めた。
 陽は陰り、辺りは薄暗くなり始めていた。でも、ホヨンはその場所から離れはしなかつた。会士が憎い。村の人達が憎い。それにもまして、あの不安をそのまま心の隅に押しやった自分が憎かった。ひとりだけ取り残された自分が哀しかった。

マリエッタと共に朽ち果てるのもいい・・・・

 ホヨンは、冷たい夜露の中、目を閉じた。夢か幻か、温かい唇が首筋に触れているのを、ホヨンはぼんやりと感じていた。
「マリエッタ・・戻ってきてくれたんだね。僕の愛するマリエッタ」
 ホヨンは、温かい唇の持ち主を抱きしめた。その持ち主が、もがく。その抗う力に驚いて、ホヨンの意識が目覚めた。
「ごめんなさいね。こんなことになるなんて思いもしなかったのよ」
 ホヨンは、飛び起きた。
 目の前で美しくまだ幼さを残す顔をした女が、微笑んでいる。

至上の微笑

第一章の一部を掲載しております。お読みになってくださいませ。






その女はアンナと名乗った。
アンナは、自分は吸血鬼で百三歳だという。そして二度と死ぬことはないと。
アンナは、すでにホヨンを仲間にしていた。その事実をホヨンは受け入れられなかった。
が、
「彼女に逢いたいの? 彼女にもう一度逢いたいでしょ?」と、いう
アンナの言葉にホヨンの心は揺れ動く。

とうとうホヨンは言った。
「君の話は難しいが・・・彼女は絶対に生まれ変わってくるんだね」と。

ホヨンは、彼女の生まれ変わりに出会うために吸血鬼として永遠に生きることを選んだ。






あれから500年、ヨーロッパの歴史とともにホヨンの身の上にも様々なことがあった。
そして現在、
ホヨンは、やっと愛する人の生まれ変わりを探し出したのだ。
ホヨンの住む国よりはるか遠くの日本に彼女はいた。

彼女は、
ホヨンの愛に気づくのだろうか。
彼女は、
ホヨンの時空を超えた奇跡の愛を信じることができるのだろうか・・・?






ホヨンの愛の物語の続きをぜひこちらでご覧ください

至上の微笑